1846年

埋木舎

埋木舎(うもれぎのや)と呼ばれる

滋賀県彦根市にある屋敷に住んでいたのは、、、

幕末のドラマや映画、漫画とかには欠かせない

学校の教科書にも出てくる

井伊直弼。

行った時は、ちょうど工事中?改装中?で

邸内には入れなかった、、残念、、、

(、、、なんか色々折角いってもこんなんばっか、、)

琵琶湖畔にある国宝

彦根城の目の前にあり

堀を挟んだ先に

埋木舎はあります。

この名称は

自分は世に出ることもなくこの屋敷でどうせ埋もれていくという自虐を込め

直弼が名付けたらしい。

それほど彼の

青春時代は鬱屈していたような感じはあります、、

 

徳川家譜代大名の名門、彦根藩

井伊直弼は11代藩主である井伊直中の

14番目の男児として誕生します。

おとうちゃん頑張りすぎやろ、、しかし、、

結局何人産ませたか分かりませんが

、、昔は、、すごいな、、、、

長男の直亮が彦根藩の藩主として

跡を継ぎ、、、

あとの男兄弟は

どんどん他の家の養子にいくこととなります。

 

残念ながら長男直亮は

子宝に恵まれず

11番目の弟である直元を自分の養子にし

跡継ぎとします。

 

、、売れ残ったふたり

14男 直弼19歳と

弟である

15男の直恭14歳、、、

 

江戸にいる兄の直亮に呼ばれ

養子の斡旋をしてくれるということで

ふたりは江戸に向かいます。

弟の直恭は無事、九州延岡藩の養子となり

めでたく藩主として内藤家の藩主となりますが

直弼は、、、

養子の口が見つからず

ひとり寂しく

結局彦根の埋木舎に戻ることとなり

なんとも屈辱的で

自尊心を壊されるような結末、、、、

 

、、結局

「部屋住み」と呼ばれ

独立できず、かといって跡を継ぐ家があるわけでもないので

少ない生活費を彦根藩の殿様から

貰いながら17歳から

埋木舎で15年間も、、、、

32歳になるまで

今で言えばニート?

のような生活をしていたらしい、、、

 

しかし直弼はこの長いあいだに

 

剣術、槍、弓、武道の心得を学び

お茶、歌、鼓を打ち国学、儒学

西洋への知識、書や狂言、絵を描いたり能面を作ったり

(もう、、ちょっとよくわかりませんが

とにかく色々やっていたみたいです、、)

でも

埋木舎で過ごす彼に

運命の出会いが訪れます、、

 

1842年(天保3年)

一人は長野主馬と呼ばれる同い年の男

彼はイケメンで国学者だったらしいですが部屋住みの井伊直弼と

同じく不遇の時期を過ごし、、、

三日三晩話をしたのちに

直弼は

主馬に心酔し弟子になったらしい、、。

 

その頃ニートであった直弼を

主馬はどう感じ、見ていたんでしょうね、、

 

のちに

棚からぼた餅のように?

直弼が彦根藩を継ぐこととなると

長野主馬は長野主膳と名を改め

直弼の右腕として

彦根藩の藩政改革を行うとともに

直弼が徳川家の大老になっても

謀臣として

直弼の信任厚かったそうです。

 

、、もう一人は

村山たか

と呼ばれる女性、、

 

長野主膳が直弼に紹介したのか

村山たかが

直弼に主膳を紹介したのか分かりませんけれども

かなりの美人だったそうです。

芸達者で

直弼の歌舞や音曲の師匠として

埋木舎を行き来するなかで、悶々と過ごす

直弼と関係を持ち、、

 

直弼よりかなり年上で

子供もいたらしい、、、

しかも

のちに長野主膳とも深い関係になったとされます、、、

(うわ、、、ちょっと面倒くさそう、、、、)

、、、でも

ここ埋木舎で出会った3人、、、、

 

、、前途も見えない中

 

気の合う彼らと語らうひととき、、

 

直弼の人生の中で

きっと多分一番楽しかったんではないでしょうか、、、、?

 

 

まあしかし、、、

、、、ミョーな三角関係は置いといて、、、、、

井伊直弼。

彦根藩の跡継ぎの予定であった

11男の兄、直元が

1846年(弘化3年)に病死し

埋木舎で残っていた直弼が

彦根藩の後継者となり

このまま、、、

彦根藩の第15代藩主となっていくという

 

運がいいのか悪いのか、、、、

 

子供の頃、教科書には一行か二行、、

日米修好通商条約だっけ??

あと安政の大獄、、、

 

なんだか強引なイメージ、、

載っている肖像画も

悪そうなイメージで、、、

(あの有名な肖像画のイメージ良くない気がするなぁ、、、、、

いらんお世話だけどもう少しやさしそうな肖像画はないんでしょうか、、)

彼は直亮の跡を継いで彦根藩藩主となってから藩政を改革。

彦根では善政を行い、庶民たちにはえらく慕われていたそうです、、、

 

この先、、、、、

井伊直弼は

有名な桜田門外の変において

生涯を

花のしずくが落ちるように、、、、

、、、

 

で以下

、、、全然どうでもいい話です、、

 

岐阜県の

各務原市伊吹町

というところにある

このなんでもない

いなか道、、、

この近所に住む

あるお年寄りが

ポツンと

「井伊直弼の亡骸はこの道を通って彦根に帰った、、」

という

噂があったと教えてくれました。

 

中山道とか大きな街道がこのあたりにはありますけれど

 

きっと家臣たちはそれを避けたんでしょうか?

 

 

、、子から子へ、そしてその子供へ

なんの根拠もない伝承が

この辺りに伝わっています、、、

(こういう話はどこにでもありそうですけれども、、、)

でも

そういう話を聞くと

このなんにもない

普段何も気にせず通る

道でも

教科書に載るような人が

少し身近に感じたり

リアルな気持ちに感じさせるような、、、

こういうどうでもいいような

エピソードを聞いただけで

井伊直弼との距離を

じぶんだけ勝手に縮め、、、

心をときめかせてしまうのは

なぜでしょうか、、、、

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