1584年

血の池公園

なんとも強烈なネーミングの公園。

誰がつけたのか知りませんが

一度聞いたら必ず覚えてしまうこの公園は

愛知県長久手市にあります。

1584年(天正12年)に

羽柴秀吉軍と織田信雄、徳川家康軍とのあいだで

小牧長久手の戦いが起こり

公園として埋め立てられる前にはこの地に池があったそうで

毎年、4月9日には池が赤く染まるという伝説が残ります。

 

また、これも誰がつけたのか分かりませんが

この長久手の合戦があった跡あたりにある駅の名は

「長久手古戦場駅」

、、別にいいけれども

自治体の考えなのか

知らない人に分かりやすくしようとしたのか

なんだかどうかも

知りませんけれども

ふつうに

長久手駅でいいじゃないかと思ったりもしたり、、

なんともインパクトのある駅名です。

そしてこの公園のそばには

交通児童遊園があり

毎年春には新入園児の交通安全教室が開かれるそうです。

この公園を新入園児たちはどう思ったり解釈するんだろとか、

親とかどう説明すんだろとか

どうでもいいことばかり考えたりします、、、

 

、、、しかし、全く霊感ないですけど

さすがに夜とかここは一人ではいきたくないな、、、

 

、、黄昏時に行きましたが

ちょっと寂しい感じで

住宅街の中にある公園であまり人もいなかった気がします。

ここに

かつてあった池は

小牧長久手の戦いのなかで

徳川家康の家臣

渡辺守綱を中心とした武将たちが

戦の途中で

刀や槍についた血を洗ったことで

 

血の池公園と名付けられたそうです、、

血まみれの武器を洗うため鎧をかけたと言われる松は

どこにあるのか分かりませんでしたが

 

この池で血のついた武器を洗ったという渡辺守綱。

彼は若き日より同い年の徳川家康に仕え

槍を得意としたことで

「槍の半蔵」と呼ばれた男。

徳川家康といえば服部半蔵が有名ですが

こちらの槍の半蔵も

徳川十六神将の一人として

家康の側で

幾千もの戦功を重ねながら

長篠の戦いでは

山本勘助の息子も打ち取った武勇もあるそうです。

槍の半蔵はとにかく徳川家のもとで

忠義を尽くし

徳川家康の9男であり

いまある名古屋城を居城とした

尾張藩の初代藩主

徳川義直を補佐する役目を全うします。

 

、、、そして槍の半蔵の子孫、、、

長き江戸時代のなかで

徳川家の名門として脈々と渡辺家の血は流れていきます、、

 

 

、、、時は過ぎ

武士の時代も終わりの時を迎え始めたころ、、、

 

1867年(慶応3年)10月14日に

徳川将軍、徳川慶喜が大政奉還を行い

時代が変わっていくさなか、、

ここ尾張藩で

その槍の半蔵の血脈を受け継いできた

 

尾張藩家老は

 

ある事件により、血の池ならぬ

血の嵐に巻き込まれていくこととなります、、、

次回に続く予定、、、







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