1562年

楽田城

愛知県犬山市にある

今は小学校の片隅に佇む城のあと。

1584年(天正12年)に起こった

小牧長久手の合戦において

名人、堀秀政が廃城であった

この城に入城し

犬山城にいた羽柴秀吉も

ここに本陣を構えたそうです。

もともとは織田信長のひいひいじいちゃん?ひいじいちゃん?

の織田久長が1504年(永正元年)頃に築城したと言われます。

1562年(永禄5年)

、、のちに犬山鉄斎と呼ばれる男は

あとから見れば、、

よせばいいのに

のちに天下に名を轟かせる織田信長と張り合います。

何度か触れた気がするこの織田信清は

織田信長のいとこで尾張犬山城の城主として

織田信秀の息子、信長に協力し

尾張統一に向けてともに突き進みます。

そのころ

信長は弟信行や親戚一同の織田一族のゴタゴタ

東の脅威である海道一の弓取り、今川義元

木曽川を隔てて美濃の斎藤義龍

と敵だらけで枕を高くしてとても寝られない状況の中

信清は信長に協力し尾張を手中に収めます。

尾張平定が落ち着き、そのあと

信長は悲願である美濃を奪うため幾度か斎藤軍に攻め込みますが

なかなか上手くいかない。

そんななかで

突如として信清は信長を裏切り

斎藤家と手を組みます。

 

その時に信清は犬山城から南にある

ここ楽田城を奪い取りますが

、、翌年には

信長は清洲城から楽田城から近い小牧山城へ引っ越しされ

裏切った信清の勢力拡大を防ぎ

信清は居城であった犬山城も陥落されてしまいます。

 

その時の犬山城攻略の功労者はあの丹羽長秀と呼ばれる武将。

彼は信清の部下たちを調略してしまい信長の味方に引き入れてしまったそうです。

 

信清は甲斐の武田信玄のもとへ逃亡、、

ここから、織田信長は完全に尾張を自分のものとして

再び美濃攻めを再開することとなります。

そしてこの城は信長の部下として

浅井長政、朝倉義景連合軍とのちに戦い

一騎当千の活躍をしたといわれる

酒井政尚の居城となります。

、、なんども試み、失敗した美濃攻略

どう攻めるやらと信長が考えているところに

木曽川を越え、まさかの美濃方であった

加治田城城主、佐藤忠能と呼ばれる男が

信長の味方になりたいと話を持ちかけてきます、、、。

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