江戸時代

赤髭明神

 

だいぶ前に紹介した

長浜城とかもそうですが

 

‥お城のまわりって

いろんな人の関わりがあったせいか

行ってみなければわからないような

小さな物語や伝承が伝わり、点在しています、、、

この二つの石‥

郡上八幡城の脇に

佇んでいる

力石と呼ばれる石は

ときの城主

遠藤常友が城の改修を行った際に

剣村の作兵衛という男がこの石を城下にある吉田川の

河原から運んできた石だそうです。

作兵衛は体も大きく力もあり、人柄もいいので

皆から慕われていたそうです。

 

また彼は毛深い男でその毛が茶褐色に見えたことから

赤髭作兵衛と呼ばれていました。

 

今回の郡上八幡城の改修工事に参加した彼は

九十貫(337キロ!‥750ccのバイクとか

ちょいとしたグランドピアノとか

1リットルのペットボトル337本分とかあんまり想像つかない‥

もあるというこのふたつの石を背負い上げ

吉田川からこの城まで持ってきたそうです。

 

それを見た普請奉行、村上貞右衛門が

(今でいう現場監督だと思います)

仰天し彼を絶賛。

 

その赤髭作兵衛は大感激。

 

たぶん今では分からない身分の違いとかもあったと思います。

 

だからこそ

彼は褒められたことで涙を流し卒倒し

そして力尽き、そのまま息絶えたそうです。

 

‥そしてこの二つの石は昭和8年に

 

廃藩置県に壊されてしまった

郡上八幡城の再建の際、この地に安置されます。

なんだかよく分からない部分も多いですが

作兵衛は気を抜いた瞬間に背負っていた石に潰さ‥

 

‥まあよくわからないのであれですが

 

しかし彼の偉業は今も語り継がれており

この城は一方通行で城周辺を探索したあとに

山を降りると

帰りにホテルがあってその駐車場の片隅に

彼を祀っっている赤髭明神があります。

今も慰霊祭が行われているほど

多くの人に伝わり

衝撃的であったであろうこのエピソード、、、

忘れたけど‥

 

前にどこかのニュースで見た

男性が橋の上で結婚を申し込んでOKをもらって

 

喜びのあまり海に落ちて転落死した事故を思い出します‥

 

幸せの絶頂の中で突然の死を迎えるという

相反する?この状況っていうのは‥

 

味わったことないのでわかりませんが(当たり前ですが)

 

一体なんなんでしょうね?

ちょっと、これはこれで

死に方として

 

ななんとなく羨ましい気がしないでもないような

気がしないような気がします。

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