1600年

飯沼勘平長資の墓

1600年8月22日

池田輝政率いる東軍と

西軍の織田秀信軍、、

ここ、米野で大激戦が繰り広げられるなか

東軍、一柳直盛の家老

大塚権太夫は剛の者と知られ

この戦いで一番槍の手柄を立て

織田秀信家臣の

武市善兵衛、忠左衛門兄弟を次々と撃破。

彼らの首を引っさげ堤防を上がった時

権太夫の目の前に現れた西軍の若武者

飯沼勘平長資がその首を返せと戦いを挑みます。

この頃にはもう流行らなかったと言われる、、、

流行り廃りはわかりませんが

両雄の一騎打ちがこの戦いの中で行われたそうです。

しかし疲弊の目立つ権太夫は長資によりここで命を奪われ

その首は川手村閻魔堂と呼ばれた秀信の本陣へ送り届けられ、、

 

そして長資は、、権太夫の首を取ったあと

東軍に向かい突き進む。

今度は

池田恒興の三男で

この戦いの東軍指揮官である池田輝政の弟

池田長吉を見つけます。

池田長吉は池田長吉で飯沼長資の挑発に乗り

部下がよせと止めるのも聞かず

長資は長吉と再び一騎打ちと相成ります。

 

大塚権太夫を倒し勢いづく長資も

今度は池田長吉に突き伏せられ、討ち取られてしまったそうです。

享年二十一才、、

その飯沼勘平長資の墓は岐南町、東海北陸道沿いに建っています。

この戦いで東軍は木曽川を渡り

西軍は岐阜城へ後退。

そして東軍は岐阜城へ、、、織田秀信を追い込みにかかる、、

 

刻々と天下分け目の戦いが近づいていくなか

 

池田輝政は、岐阜城へ向かう行軍の途中で

 

かの昔に、

あの日本武尊が伊吹山へ行く前に休息したと言われる

八剣神社で一服します、、

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