1561年

出世の松



のちに加賀百万石の大名となり

豊臣政権の五大老の一人として強大な力を持つ

前田利家。

 

彼は少年の頃、犬千代と呼ばれ

織田信長がまだ尾張を統一する前から

側で小姓として仕え

萱津の戦いと呼ばれるいくさで初陣を果たし

槍の又左という異名を持ち

目の下を射抜かれたりしながらも数々の戦いで活躍したそうです。

 

 

かぶき者と呼ばれた彼は血の気が多く、短気でキレやすい性格で

(ああ、あんまり関わりたくないなぁ、、、)

 

かの有名な正室、まつと結婚し娘ができた矢先に

 

織田信長のそばに仕えている拾阿弥という茶坊主を信長の目の前で叩き切ったそうです、、

 

拾阿弥は信長の部下に対して

横柄で侮辱的な振る舞いが多かったそうで、、今でいうパワハラみたいなもんでしょうか?、、、

(ああ、、これもやだなぁ関わりたくないなぁ、、)

 

利家も、、本人なりの事情もあるだろうけどいくら何でも凄まじすぎですよね、、、

 

この出来事で信長の怒りを買ってしまう利家。彼は信長からクビを言い渡され

浪人生活を送るハメになったそうです、、、

 

このひと、、

妻も娘もおるのになにをやっているんでしょうか、、

 

 

だが挫けない槍の又左は呼ばれてもいないのに

勝手に桶狭間の戦いに

参加し戦功をあげます。

だが許さない信長。

どうすれば再び許され、、認められるのか、、、、

 

1561年(永禄四年)

斎藤義龍が死に

急遽、織田信長が美濃に攻め込んで行きます。

今でいう羽島市から長良川を渡り

岐阜県の安八郡森部の合戦において

斎藤軍は織田軍を迎え撃ちます。

 

槍の又左は

またもや信長に無断で勝手にこの戦に参戦。

すごいな、、、、経緯や内容はともかく

なんか見習わなければいけないものはあるような気がします、、、

そして待ち受けるは美濃斎藤氏の日比野清実という男の家来で

「首取り足立」

と異名を持つ巨漢の男。

素手で首を引きちぎる事ができると言われる

怪力の持ち主だったそうですが

槍の又左は、、どうやってやったのかわかりませんが

この首取り足立という豪傑を打ち破り

この功績でようやく信長から許されたそうです。

若気の至りじゃないですが、色々やりながら反省したりいろんな人に助けてもらったり

身をもって積み重ねた事や学んだ経験が前田家を最終的にあそこまで大きくしたんでしょうか?

わかりませんけど、、、

この森部の戦いで快勝し

美濃攻略の足がかりを作った織田信長、、

だが、順風満帆とはいかないようです、、、

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