1352年

土岐悪五郎の墓




南北朝の時代、、、

美濃守護大名 土岐頼康の弟

土岐康貞の通称が悪五郎だそうです。

 

別に悪は悪党とか悪者とかの現在の意味合いで捉えたわけでなく

剛の者として呼ばれたことから悪五郎という異名がついたようで、、、

ここ、岐阜墨俣にある明台寺にあり

行った時は夕方で、、

多分、寺の和尚さん?かな?が草むしりしていたので

声をかけたら妙に愛嬌のあるおじさんで

こんなところ変わり者しかこないとか言われたりしながら

お墓の案内??をしてくれました。

↑確かこの寺で一番古いお墓だそうです。

こんな風に先っぽが丸くなっている墓石は仏門に入っていた方のお墓だそうです。

なるほどと思いながら

いつの時代もいるなかなか面白い

酔狂な墓もあり、、、

、、、どんな人だったんだろ?

 

そしてこれは

首のないお地蔵さん、、、

、、、なんでも明治維新の時に廃仏毀釈で

どこかの官軍にぶちこわされたそうです、、、

 

で、

土岐悪五郎は兄頼康とともに

足利尊氏率いる北朝方で南朝方と戦いましたが

1352年(元号が2つあるんですね、、、、すごい時代だ)

 

荒坂山で激戦の中討ち死に。

 

兄、頼康は足利尊氏、息子の義詮に従いながら助け、活躍し

以前紹介した小島城で美濃、尾張、伊勢の守護大名として

勢力を広げていきます。

 

、、、しかしこの土岐一族の勢いに脅威を感じた

足利尊氏の孫

三代将軍 足利義満。

 

土岐頼康が亡くなり、跡を継いだ土岐康行。

 

義満は、強くなりすぎた土岐守護大名の力を削ろうと、なにやら企んでいます、、、

 

(写りが悪くてすみません)

 

そして、、、、

土岐悪五郎という名は世襲で、、

代々引き継がれるそうです。

最初の悪五郎、土岐康貞が

岐阜県可児市に土着し

この地に久々利城を築いたことから始まり、、、

 

戦国の時代になり

最後の

土岐悪五郎

久々利頼興はあの

「鬼武蔵」と呼ばれる

森長可と深く関わっていくこととなるようです。




、、、どうでもいいけどなんかお墓ばっかり撮ってるな、、、最近、、

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