1866年

河合耆三郎の墓

「ある隊士の切腹」

京都におけるたった

5年間の活動の中で

 

新選組のなかで

行われていた内部粛清、、

この局中法度において

 

命を散らした隊士の墓です。

 

散らすというには

理不尽な死に様で、、

 

河合耆三郎という

播磨国出身で

実家は裕福な米問屋だったといいます。

(しかしなぜ、新選組に入隊しようと思ったんでしょうか??)

 

池田屋事件でも活躍し

隊の勘定方として経理を担っていたそうです。

 

池田屋の襲撃後の元治元年10月に

伊東甲子太郎が入隊。

翌2月には

新選組総長、山南敬助が隊を脱し

切腹したのがちょうど1年前、、、

 

その半年後には四番組組長

松原忠司の壬生心中とか、、

河合耆三郎本人は多くの隊士の死を

目にしながら、、何を思っていたんだろう、、、

 

そして運命の慶応2年(1866年)

年も明けて間も無く、、、

 

まさか管理していた隊費が足りないとは

思っていなかった耆三郎、、

 

そのタイミングで副長の土方歳三から

ご用立ての指示、、、、

なぜ、、ないのかと焦る耆三郎、、、

 

ゾッとしますね、、、、

ありえないことがありうる瞬間、、

 

それを知った土方、、

 

隊費がなくなった理由は諸説あるそうですが

盗まれたのかどうか、、、、

少なくとも実家が金持ちの

耆三郎が資金流用したりする理由も

見つからない気がしまけれども、、、

 

そして、、、、

 

局中法度は発動、、、

 

その時の彼の気持ちは

いかばかりのものか、、

 

彼は播磨の親元に資金を穫り入れるように

使いを出したという、、、

 

少し猶予期間を貰ったようですが

結局、それも間に合わず。

 

彼は慶応2年2月12日(1866年)に切腹。

享年29歳。

 

果たしてどんな気持ちで

自分の死を受け入れたんでしょうか、、、

 

 

ここ、壬生寺の墓地で他の隊士とともに眠っています。

しかし、、、

 

大河ドラマでやっていた

「新選組!」もよかったですが

 

「龍馬伝」の新選組、、、

 

原田泰造が初めて登場するシーンが

すごくドキドキして忘れられない、、、。

 

(ヒキの状況から来週に繋げるあの、、、、)

 

ドラマという

映像において演出の凄みを感じた覚えがあります。

ふんどしはいていた人があんな渋い演技をするのも

なんだか衝撃でした。

 

それはともかく、、、

まだまだこれから世の中の動きとは裏腹に

新選組には粛清の嵐が吹き荒れます、、、

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