1867年

伊東甲子太郎外数名殉難之跡




油小路事件と呼ばれる
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慶応3年(1867年)3月20日

新選組を離脱し

御陵衛士を結成した
伊東甲子太郎、、、

彼は容姿端麗で風采もよく
剣術の腕も
勉学の点でも素晴らしく
そして人望も高かったそうです。

(いうことないですよね、、羨ましい)

新選組に加盟して参謀という
偉い立場にありながらも

佐幕、勤王と

思想の違いから

近藤勇率いる新選組と袂を分かちます。

脱退の話を聞いた時

おそらく新選組の幹部たちは
「舐められている、、、」

と感じつつも

最初からどこかで牙を剥くつもりで

脱退を許したんでしょうか、、、、

、、、その8ヶ月後

有名な局中法度のひとつ

「局ヲ脱スルヲ不許」

鉄の掟は

慶応3年11月18日に発動。
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伊東甲子太郎は近藤勇から酒宴の誘いを受け
その帰りに暗殺されます。

そのあと あの有名な壮絶とも言える闘いが始まるんですね。

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伊東甲子太郎の死骸は道端に放置され

囮となり

ボスを失った御陵衛士のメンバーたちは

彼の骸を引き取りに油小路に向かいます。

総勢7名、、、

闇の中で待ち伏せしていた4、50名と言われる新選組隊士たちは

彼らを取り囲み、皆殺しにしようとします。

御陵衛士の7名のうち4名は

この状況の中でも

必死に逃げ切ります。

、、、いやこれは逃げるだろ、、、どう考えても、、、

篠原泰之進(かなり長命されたようですね!)

鈴木三樹三郎(伊東甲子太郎の実弟だそうです。新選組元九番隊隊長)

加納鷲雄(流山で偽名の近藤勇の判別をして決定的になったそうです、、因果というんでしょうか?)

富山弥兵衛(薩摩藩士。靖国神社に祭祀されているそうです)

残った3名、、、

毛内有之助は
百人芸と呼ばれ、なんでも器用にできたそうですが
油小路で滅多斬りにされ無残な死に様だったそうです。

服部武雄は
伊東甲子太郎の骸を引き取りに行く時に
ひとり鎖かたびらを着込み

(他のメンバーにはこの案は受け入れられず、もう死ぬ気だったんでしょうか?)

獅子奮迅の闘いをしたとして

仲間がその場から逃走するなか
最後まで戦い抜いたそうです。

最後は藤堂平助、、

彼は近藤勇の道場である

試衛館に入門し

新選組結成前からの

初期メンバーであったにも関わらず、、

新選組脱退の時には

伊東甲子太郎についていき
藤堂家11代藩主の落とし胤との噂もあります。

新選組では八番隊隊長として
池田屋事件でも活躍しますが、、

江戸の頃からの付き合いで、、
しまいには伊東先生について行くと

裏切られながらも

この場所で
23歳の若さで死んだ彼に

副長の土方歳三とか
原田左之助、、
永倉新八、、

、、そして局長の
近藤勇は

この時、何を思ったか、、、

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新選組は時代も近いためか
色々なエピソードも残っていて
すごく面白いですよね!
しかもやってる事や個々のエピソード
がひとつひとつ強烈すぎるので、、、

この場では書ききれないです、、、

しかも最近になって斎藤一の写真とか出て来たって

すごくないですか?

そのうち沖田総司とか
西郷隆盛とかも

写真がいつか出てくるといいですね!

それはともかく
時代は少しづつ変わって来ています、、、

油小路事件のちょっと前に
江戸幕府の15代将軍

徳川慶喜は政権を

明治天皇に返上しています。

そして
新選組はこれから

時代の変貌を、、

身をもって感じる事となるのです、、、

 

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